残したい風景をみんなで守る、地産地消で地域コミュニティに参与する仕組み

地域活動から社会のきざしをとらえ、気づきを得る「地域×企業」の対談インタビュー。第1回は、300年続く国分寺野菜の魅力を広め、地産地消による地域活性化に取り組む「こくベジ」プロジェクトの高浜洋平さんと奥田大介さんに、日立製作所 研究開発グループの森木俊臣さんと伴真秀さんが尋ねました。

「こくベジ」プロジェクトとは:
こくベジプロジェクトとは、(1)国分寺市の農業と農畜産物のすばらしさをPRすることで、市内外のかたに地場野菜等に興味・関心を持っていただき、(2)市内の飲食店が考案した地場野菜等を使ったオリジナルメニューをPRすることで、市外から人を呼び込み、市内消費を促進し、国分寺市の活性化を目指す取り組みです。(国分寺市Webサイトより

Q.なぜ「こくベジ」プロジェクトが生まれたのでしょう?

高浜さん大まかに説明すると、もともとは農協が国分寺産野菜のブランディングを意識しはじめました。私が史跡の駅「おたカフェ」を立ち上げる前に二年間同じ場所で日曜日限定の屋台をやっていましたが、その間、農協の協賛で地場野菜の取り扱いを2年間することができたのですが、それもひとつです。国分寺野菜のカレーをつくり、PRしたことが農家さんとの付き合いをより深める機会のひとつにもなりました。

そして、農協、商工会、観光協会で国分寺野菜を売り出していこうと、市に「ブランド協議会」が立ち上がって、国分寺野菜を使った加工品等を「国分寺ブランド」としてお墨付きすることで、付加価値を発信する流れが生まれていきました。

奥田さん2015年に地方創生の交付金で市民ワークショップによる国分寺野菜を扱ったご当地グルメを作ることがありました。でも数回ワークショップを重ねても、これという決定的なアイデアは生まれず。市が困っていた際に私たちに声がかかりました。以前から国分寺野菜を使った商品開発や地場野菜を扱う取り組みを、主催するイベントの中でしていて、市内の飲食店にも国分寺野菜を扱っているお店が少なくないことは知っていたので、農協や農家さんの協力をもらいながら、国分寺野菜を扱いたい飲食店にイベント期間中だけだった野菜の配送を、これを機に週二回配送することを仲間4人で始めました。

高浜さん20〜30店舗の飲食店が通年で国分寺野菜を扱うことに同意してくれて、ブランディングブックも制作しています。それが「こくベジ」のスタートです。

Q.お二人が暮らし、働く国分寺で「こくベジ」に取り組む喜びは?

奥田さん今は仕事も遊びもすべて国分寺みたいなところがあります。国分寺は、駅前は便利でありながら駅から少し離れると自然もあって、とても住み心地のいいところです。その魅力ってずっと住んでいると当たり前になってしまうことですが、その魅力が当たり前に続くよう私たちの活動や役割が役立っていたらいいなと思っています。

高浜さん国分寺を耕せば、巡りめぐって家族にも恩恵が来ます。農家さん目線から見ても、市民目線から見ても、働いている人の目線から見ても、良いことをできている雰囲気が実感できています。

Q.「こくベジ」に取り組み続ける理由を教えてください。

奥田さん続けていく中で気づいたことですが、農家さんも飲食店も持ち場を離れることはできず、何か生業を営んでいるまちとの関りをはじめようとしても、きっかけがなかなか作れないんです。「こくベジ」という言葉を生むだけで、それがきっかけで関りができ始めてきました。そして、市民もその飲食店で国分寺野菜を食べることができたり、農家さんで野菜を買ったりすることが以前よりもできるようになりました。

私は以前新聞配達をしていたのですが、新築住宅が増えるとお客さんが増えて嬉しい一方で、その土地がもともと畑だったことも少なくありませんでした。まちとの関わりを深めていくと、庭先販売の野菜を「新鮮で美味しい」と楽しみにしている市民と出会うようにもなり、どんどん畑がなくなっていく状況をいいことだと思えなくなりました。

国分寺には庭先販売のように、新鮮で美味しい野菜が手に入る環境があるんだけど、いつどこに何があるのかわかりづらく、手に取りにくい。私たちが配送をすることや情報を発信することによって手に取りやすくなり、「こくベジ」を通じてこのまちの魅力でもある畑と飲食店が多くて近いということをお互いに意識し合えるようになったことは大きいです。

高浜さん奥田さんの言うように、畑がなくなってしまうことは急速に進んでいます。流れを止めにくい状況ではありますが、農家さんが辞める決断をするのにも、とても重大な理由がある。例えば、農家のお子さんが学校で親の仕事の悪口をいわれたり、畑の周辺住民から砂塵や防火林の落ち葉でクレームが入ったり。だから、農家さんに対して、地域の皆がありがたいという雰囲気をつくり、農家さんもプライドをもっともってもらえるような取り組みをしたいなと思いました。

Q.農家さんが今よりもっと誇りをもてるような具体的な試みを教えてください。

高浜さん例えばこくベジを使ってつくったジャムもそのひとつです。農家さんは農協やスーパーに出品し、売れ残りが戻ってきて、畑に廃棄せざるをえないときに一番つらい想いをするので、そうした野菜や果実を保存食の瓶詰商品にすることで、野菜や果物を助ける仕組みを創りました。また、生産者の名前を入れて、農家さんから見ても瓶詰を名刺代わりにしてもらうことができました。そのような取り組みを続けていって「この街に農家さんがあって、ありがたいね」という雰囲気を醸成していけたらと思いました。

また経済的には、農家さんは一般的に資産はあるけど野菜を一つ一つ地道に育て売るため、資金があまり豊富ではないこともあるので、冠婚葬祭があると畑を切り売りするという現象がよく見られるのですが、農家さんが余裕を持てるようにもしていくため、売れ残りを少なく、少しでも高く売れるものにしようと試みました。

でも、何より農家さんのもとに通うと「こんな産物まであるのか」と感心することが多いんですよ。例えば、日本に流通するうちの99%が韓国産になっているパプリカも国分寺に生産されていたり。あるいは国分寺野菜は環境の都合上、少量多品種で減農薬や無農薬だったりするのですが、農家さんは自分で「無農薬」だと謳うことは決してありません。市民にとっては自慢になることだと思うので、みんなに伝えていきたいと思いました。

Q.農家さんを取り巻く状況が改善しづらい背景にはどんな原因がありますか?

高浜さんみんなで農家さんを盛り上げる雰囲気がまだ生まれていません。以前、国分寺野菜にまつわるデータを集計したのですが、市民の手元に渡っている量は生産されているうちの1%に満たないことがわかりました。それを「来年は2%」「再来年は3%」とみんなで頑張っていけるように数値化することができたらいいのかもしれません。

奥田さんこくベジを始める前の調査で、来街者がたくさんあっても、国分寺に長く滞在していないというデータが取れたこともあります。国分寺野菜の魅力を伝えるようになったのは、国分寺に来た人たちがもっとまちの魅力を知りやすくなればと思ったことも動機なんです。

「こくベジ」の話を聞いて

森木さんお二人の話を聞いていたら、子どもの小さい頃を思い出しました。自宅の近くには畑があり、幼稚園に通う子どもが芋掘りに行く。わたしは親族に農家が多くて、畑に囲まれた環境にも幼い頃から触れていたんですが、子どもにもそういう経験をさせてあげたい。そのとき、畑が身近にあることはまちの魅力ですよね。

伴さん「みんなで頑張ること」を考えた際に、文脈が大切だと感じました。たとえ、温野菜ひとつにしても、畑で育ってから人の中に入るまでにたくさんの文脈があるはずですが、今は分断されています。一方で、スーパーマーケットで買い物をしていると、野菜にシールが貼られていて、埼玉県の誰さんがつくったということがわかるようにもなっているんですが、それを見ても心を動かされない悲しさがあるのは興味深いと思うんです。

そんなことを考えていると、以前、子どもにニンジンのパンをつくってあげたときのことが思い出されました。近所に畑がある場所で暮らしていたのですが、その畑で採れたニンジンを使うことに意味があるのを子どもに教えられたんです。子どもに、近所の畑で採れたニンジンだと教えると「なんで、こんな形してるの?」「ニンジンをパンにすると、美味しいんだね!」と一気に会話が広がりました。

近所で採れたニンジンがパンになり、子どもが食べるまでの文脈が途絶えなかったおかげで、会話が生まれる。「次につながる強さ」があるように感じました。そんなちょっとした体験があるだけでも、特に何をしたわけじゃなくても、まちに関与した感覚を覚えられたりしますよね。

高浜さんそうですよね。多くの人は、新鮮で美味しい野菜が食べられるなら使いたい。でも、どうやったら近隣の野菜を使えるのかわからない。私自身も引っ越してきた際に、近所で畑を見つけて「あの野菜が食べたい」と思いました。でも、農家さんと面識はなかったし、どうすればいいんだろうと考えたんです。

伴さんそれはひょっとしたら、アナログではできない文脈のつなげ方をデジタルが担えることなのかもしれませんね。文脈を途切れさせないようにすることができるのなら、使う技術は冷たさを伴うものかもしれないけれど、残す価値は人間味のある温かいものになり得る。そして、自分が地域に関与することを知れたら、まちに住むことの新しい豊かさや楽しさを見つけるモノサシも生まれそうです。