第6回 多摩エリアの鉄道会社

鉄道会社は運輸事業を軸にしながら、その事業を沿線の宅地開発、商業施設やホテル経営、流通、娯楽、金融と多角化してきました。そして今、鉄道会社は地域の中核企業として大きな影響力を持っています。今回は、多摩エリアを東西に走るJR中央線、京王線、西武線にスポットをあて、現在に至るまでの発展の歴史と地域貢献のあり方を見ていきます。また、JR中央ラインモールと京王電鉄にインタビューも行いました。新型コロナウイルスによって大きく影響を受けた鉄道会社が、この先地域とどう関わっていくのか。学生たちの目線で整理してみました。

監修:多摩大学経営情報学部教授 長島剛

多摩エリアを通る鉄道の歴史

通勤や通学など、出かける際の移動手段の一つである鉄道には、開通から今日に至るまで、それぞれの路線に多くの歴史があります。多摩エリアを東西に走り、都心や隣接県を結ぶ中央線と京王線、そして西武線。これらの鉄道を軸に、鉄道会社と地域について考えました。多摩エリアと各都市を結ぶこの3線にはどのような歴史があるのでしょうか。

中央線の歴史は、前身の会社である甲武鉄道の1889年(明治22年)の新宿~立川間の開業から始まります。多摩エリアから東京へと木材や石灰石などの資材を運輸するために開業した甲武鉄道でしたが、その開業にあたっては、当時の移動手段の一つであった人力車や、旅人を休ませる宿屋などから様々な反対運動が起こったそうです。開業後の甲武鉄道は、西は甲府、東は御茶ノ水までを開通させ、1906年(明治39年)の鉄道国有法公布によって国有化されました。太平洋戦争を経た戦後、GHQ統治下の1949年(昭和24年)に日本国有鉄道が発足し、約40年続く「国鉄」の時代が訪れます。その後、莫大な経営赤字を抱えた国鉄は1987年(昭和62年)の国鉄分割民主化に伴い6つの鉄道会社とその他の独立部門に分かれ民営化され、現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)が発足しました。JR東日本は鉄道事業以外にも、駅ビル経営をはじめ駅構内スペースでの商業施設運営や駅直結のホテル運営など生活サービス事業にも力を注ぎ、顧客のニーズに応えています。

中央線(国立市)

一方、中央線の南側を東西に走る京王線の歴史は、現在の京王電鉄の前身である京王電気軌道という会社に端を発します。京王電気軌道は1910年(明治43年)の設立後、わずか3年で笹塚~調布間を開通。1916年(大正5年)には新宿~府中間を開通させました。さらに府中~東八王子間を運行していた玉南鉄道の合併を経て、現在の新宿〜京王八王子という京王線のルートが完成します。その後、京王電気軌道は東京急行電鉄(大東急)→京王帝都電鉄→京王電鉄という道筋をたどり現在に至ります。その間には交通事業者の乱立や世界恐慌の影響により制定された「陸上交通事業調整法」にともなう合併や日中戦争、太平洋戦争など、様々な時代の波がありました。戦後、1948年(昭和23年)に大東急が解体された際、帝都電鉄(のちの小田原急行鉄道)が運行していた帝都電鉄線(現・井の頭線)が京王の所属となり、京王帝都電鉄としての歴史が始まります。京王帝都電鉄の設立後には、府中と東京競馬場を結ぶ競馬場線が開通。その後も多摩動物公園やよみうりランド、多摩センターなどを京王線で結び、多摩エリアにある施設へアクセスする利便性という面でも向上してきました。設立から50年が経った1998年(平成10年)、京王帝都電鉄は社名を京王電鉄に変更。京王電鉄を含む京王グループは、メインである鉄道などの運輸業以外にも、不動産業やサービス業をはじめ、様々な事業を行っています。

そして中央線の北側、埼玉方面と多摩エリアや都心部を結ぶのが、西武鉄道の運行する西武新宿線や西武池袋線です。1912年(明治45年)に西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が設立されました。この武蔵野鉄道と、国分寺〜川越間を運行していた川越鉄道が現在の西武鉄道の源流です。設立後間もなく池袋~飯能間を開業した武蔵野鉄道は、1922年(大正11年)には池袋~所沢間を電化。当時1000Ⅴ以上での電化は、私鉄では武蔵野鉄道と秩父鉄道が先駆けだったそうです。この電化の背景には、第一次世界大戦中の蒸気機関車の燃料である石炭の価格高騰による経営圧迫などの事情が挙げられます。1928年(昭和3年)、国分寺と萩山を結ぶ多摩湖線が開通しました。戦後、高度経済成長期を迎えると人々の余暇の使い方も変化し、多摩湖周辺にはレジャー施設や観光施設などが設けられ、それらの施設へ観光客を運ぶ役割も果たしてきました。1945年(昭和20年)、武蔵野鉄道はそれまで競争関係にあった川越鉄道(紆余曲折を経て当時の社名は西武鉄道となっていた)と合併し、翌年、西武鉄道に改称されました。2012年(平成24年)に西武鉄道は設立100周年となり、西武線沿線である川越や秩父をはじめとした観光地に人を運び、沿線では子育て支援やペットのケアなど幅広いサービスを展開し、住みやすい沿線づくりに取り組んでいます。

多摩エリアを東西に走る3つの鉄道会社は、幾度も時代の波を乗り越え現在に至り、近年はどの鉄道会社も暮らしやすい沿線づくりや駅中施設の事業展開など、運輸業以外の事業を盛んに行っています。それぞれどのような背景で運輸業以外の事業が始まり、そこにはどのような地域との関わりがあるのでしょうか。

鉄道会社の進化と地域貢献

流通業・不動産業・レジャーサービス業・飲食業・広告業など、鉄道会社の事業展開は多岐にわたり、どの鉄道会社も運輸業以外の様々な業種に進出しています。近年はそれらの運輸外事業のうち、地域活性化や地域貢献という役割を果たす事業に重点が置かれる傾向があるようです。

JR東日本は2018年に、令和の新しい生活に合わせ「変革2027」という新たな経営ビジョンを打ち出しました。「変革2027」ではこれまでの鉄道を起点としたサービスを「人の生活における『豊かさ』を起点とした社会への新たな価値の提供」に転換させ、生活サービスおよびIT・Suica事業を推進していくとしています。その行動指針には「地域密着」も掲げられ、地元自治体との連携や駅の「地域拠点化」なども構想されています。多摩エリアの中央線沿線では、2010年に設立されたJR中央ラインモールが、中央線の沿線価値向上を目指し三鷹~立川間において「緑×人×街 つながる」をコンセプトとした「中央ラインモールプロジェクト」を推進しています。三鷹~立川間は2010年に高架化工事が完了し、すべての踏切がなくなりました。これにより利用可能となった高架下空間活用事業には周辺自治体や民間企業、金融機関なども加わり、現在、同区間の高架下にはインキュベーション施設や地域のクリエイター、商業者がシェアする工房や店舗、保育施設などが軒を並べ、公園やイベントスペースも整備されています。

中央線高架下(小金井市)

京王グループの小売業といえば京王ストア。「京王経済圏を基盤とする食料品を主体とした地域密着型のスーパーマーケットチェーン」を経営理念とし、地域社会の食を支えています。不動産業では沿線地域の物件の仲介事業や駐車場などのスペース運営、商業施設やオフィスなどの管理運営、その他にも百貨店、ホテルの運営、地域と駅を結ぶバスの運営などの事業により、食べる・買う・楽しむ・暮らす・泊まるの5つの要素を取り揃え人々の暮らしを支えています。そこには、沿線内の課題解決は京王がするという姿勢があるようです。また京王電鉄には「住んでもらえる、選んでもらえる沿線」を目標とした沿線価値創造部という部署があり、高齢者世代や子育て世代に向けた生活支援サービスを行っています。2013年には多摩市と「地域発展の推進に関する包括連携協定」を締結し、多摩市、日野市、八王子市など多摩ニュータウンを中心とした沿線エリアでの生鮮品や日用品の移動販売が始まりました。移動販売には少子化や高齢化が進む地域で日常の買い物が困難な高齢者などの利用があり、地域住民のより快適な暮らしのための生活サービスとなっています。

西武鉄道は秩父エリアを中心に地元自治体が進める地域環境活動に参画し、沿線内外から参加者を誘致するなど、沿線各地域の活性化に努めています。多摩エリアでは、環境教育プログラム「はち育」などの学びや経験の場を市民に提供することを目指し、グループ会社である西武造園が清瀬市の「東京清瀬市みつばちプロジェクト」と連携協定を結ぶなど、グループ全体で子育て応援施策にも取り組んでいます。

今年は新型コロナウイルスの影響を受け、テレワークの導入などで鉄道やバスの利用者が大幅に減少し、鉄道大手18社の4〜6月期の決算が全社赤字となりました。自粛ムードはレジャー部門やホテルなどの宿泊系の部門にも大きな影響を及ぼしています。しかし、地元地域で過ごす住民はたくさんいます。今後はより生活環境や生活圏の地域の充実が求められ、地域貢献事業は鉄道会社にとってますます重要な位置づけとなっていくのではないでしょうか。

鉄道会社の地域貢献に対する姿勢とこれから

時代の変化によってアプローチも変わる地域貢献事業。鉄道会社にも地域にもとても大きな影響を及ぼしたといえる新型コロナウイルスなどの要因を踏まえ、鉄道会社はこれからどのような思いや問題意識を持って地域貢献事業を行っていくのでしょうか。また、今回のテーマは「鉄道会社×地域」ですが、そもそもなぜ鉄道会社が地域貢献事業を行うのかという根本的な疑問が残ります。これらの疑問点に関して、JR東日本グループであるJR中央ラインモールの代表取締役社長・石井圭氏、また京王電鉄の経営統括本部経営企画部・都村智史氏、戦略推進本部沿線価値創造部・野村和伸氏からお話をうかがうことができました。

JR中央ラインモールでは、2014年頃から中央線高架下の活用による起業支援などで地域事業の活性化を行っているほか、近隣学校との連携や地域のニーズに応える子ども向けロボットプログラム教室「プログラボ(中野・武蔵境・武蔵小金井・国立・豊田)」の運営など、教育に関しても力を入れています。このような事業について石井社長は、「鉄道に乗っていただくためには沿線価値を高めて多くの方に沿線に住んでいただくことが大事であるし、鉄道のご利用者は地域住民の方々であるため、社会的責任という点では他の一般企業よりも負うべきところが大きいと考えています。また、多摩エリアは教育熱心なご家庭が多い地域なので、お子さんや住民の方々の可能性を広げるような場をつくり出していきたいです」と話してくださいました。JR中央ラインモールが推進する三鷹〜立川間の「中央ラインモールプロジェクト」では、高架下スペースや商業施設において地元の事業者の名前をあちこちに見ることができます。事業スペースの提供(店舗としての出店や催事販売)、イベントの開催などを通して、地域の事業者や住民の方々と一緒になって沿線を盛り上げることを、石井社長は地域貢献の一つのあり方として意識しているということでした。こうした地元の事業者や地域プレーヤーとのネットワークを活かした地道なコミュニティづくりこそがJR中央ラインモールのスタイルであり、これにより地域の産業がより活発になり、地域が潤うことにもつながっていくと考えられます。今後はさらに地域内連携の強化を推進し、商店街と企業、学校と企業といった組み合わせをひとつにまとめ、より多くのステークホルダーが関われる場の提供をしていきたいということでした。

JR中央ラインモール インタビュー風景(小金井市)

鉄道会社の地域貢献について京王電鉄の野村氏は「鉄道会社というのは生業そのものが、地域貢献なしには成り立たないビジネスモデルになっています。地域の価値と会社の価値は直結しているといえるかもしれません」といいます。高度経済成長期の多摩ニュータウンを中心とした人口増加にともない、交通網の整備や駅周辺の開発により地域の生活利便性向上を担ってきた京王電鉄。多摩ニュータウンの初期入居から50年近く経った現在、当時の入居者たちが揃って高齢者となり世代の偏りが課題となっている地域もあるそうです。京王電鉄では先に挙げた移動販売などによる高齢者の生活支援とともに子育て支援に力を入れて地域貢献を行ってきました。鉄道会社にとって地域貢献を行うことは、地域人口の流出を防いで流入を促し、ひいては顧客の増加や維持につながります。また、これからの事業に関しては、時代の変化や新型コロナウイルスの影響によって会社にも変化が必要であると都村氏。「鉄道利用者数は完全には元には戻らないと予測しています。ただ、人々の暮らし方が変わることは間違いないので、そこに対してまちづくりをやり直すチャンスでもあると思っています。縮小した生活圏の中での生活満足度を上げるためにはどういうコンテンツが必要なのか。京王線の沿線は日本の中でもトップクラスに入る環境のよさがありますし、ソーシャルな活動をするプレーヤーも多くいらっしゃいます。これまでは『郊外の衰退』が課題でしたが、これからは『郊外の復権』がテーマになっていくと思います」。

京王電鉄 インタビュー風景(多摩市)

日本の高齢化や人口減少に加え新型コロナウイルスによる社会の変化が、鉄道会社を急速に大きく変えようとしています。この先、鉄道会社はスピード感を持って地域貢献を含め新たな事業を促進していくことと思われます。JR中央ラインモールも京王電鉄もこれからのまちづくりについて行政や地域の事業主、また住民たちとの関わりを重要視しており、今後はより地域の中でのさまざまな連携が期待されます。数年後には鉄道会社をはじめ地域の企業と住民との距離感は今よりも近くなり、より「暮らしやすいまち」へと変化していくことになるでしょう。

多摩大学ながしまゼミ2年
 月本崇喜・佐々口珠莉・石川光一

※参考文献
1.文献・論文
  • ・東浦亮典[2018]「私鉄3.0 沿線人気NO.1・東急電鉄の戦略的ブランディング」ワニブックス
2.インターネット